深夜の石川町で客を乗せた。中年くらいのサラリーマンだ。
「お客さん、どちらまで?」
「えーと、真っ直ぐ行ってください。」
「真っ直ぐって言われてもねぇ…」
とりあえずアクセルを踏み、車を動かした。深夜2時くらいだろうか。車はまばらで、港町の闇には、赤や橙のランプが点在している。オレンジの街灯が空を飛び、ときおり車内に差し込み、後部座席をふわりと照らす。客の表情はわからない。微動だにせず、きちっとした姿勢で座っている。眠っているのだろうか。
「まだ真っ直ぐですか?」
「はい。このまま真っ直ぐお願いします。」
客は眠っていなかった。赤く点滅する信号機をくぐり、さらに真っ直ぐ車を進める。味のなくなったブラックブラックを持て余しながら、メーターに視線を送った。840円。本牧方面に抜ける客だろうか、なんて考えていると、山下公園の脇に出た。
「お客さん、真っ直ぐは行けないんですけど、どうしますか?」
「左に曲がって、しばらく行ったら右に。それから後は真っ直ぐ行ってください。」
「港に行くんですか?」
「ちょっと、探し物があるんですよ。」
僕は言われたとおりに桟橋の方へ走らせた。色とりどりのコンテナや倉庫や、タンカーが近づいてくる。淡いオレンジを浴びて、テレビで見るそのままにそれらは映えていた。一面に広がる海面はまったくの闇で、底なんて存在しないんじゃないかと思った。不気味だったので僕は車を止めた。
「どうして車をとめるんだ!」
突然、客が大声を出した。だが、もう桟橋の端の方まで来ている。
「すみませんお客さん、もうこれより先には進めないんです…」
「ふざけるな! どけ!」
客は無理矢理運転席に入り込もうとする。僕はものすごい力で跳ね飛ばされ、助手席のガラスに顔を強くぶつけて唸った。キュルキュルキュル。タイヤが焦げた匂いを発し、車はそのまま発進し、すぐに湾に飛び込んだ。
「な、何てことするんですか!」
ところが、運転席にも、振り返って見た後部座席にも、客の姿は見当たらない。水の音が無気味に反響しながら、車体はゆっくりと沈んでゆく。前輪から底につき、次に後輪。とりあえず逃げ出さなければと思い、助手席のドアを開けようとして僕が見たものは、足に重りを付け直立して漂っている、白くふやけた死体だった。
車から逃げ出し陸へ上がると、僕は港湾警察に駆け込んだ。その日のうちに死体は発見され、身元確認がされた。ニュースで見た写真は、間違いなく僕が乗せた客だった。
その日から僕は、桟橋へ行く客を乗せないことにしている。それでも、海沿いを走っていると、ふと思う。湾にはあといくつ、探し物があるのだろうか。
Comments by 上埜 ヒデユキ